まめの木に大学生のボランティアスタッフがたくさん来てくれました。
比較的年齢が近いせいか子供たちはすぐに打ち解け、自分たちのお気に入りのお兄さんかお姉さんとずっと遊んでいました。
その大学生たちが、まめの木で1日を過ごして感じたことを文章にして送ってくれました。
1日という短い時間ではあったけど、色々な疑問や意見を持ってくれたのが嬉しかったので、少し長いですがそのままここに掲載します。
今回の学生ボランティアは、篠山を拠点に就活生や転職を考える若者に向けたインターンシップや体験プログラムを企画・実施している株式会社ZEROZIBAさんにご紹介いただきました。彼らが拠点として運営するZEROZIBAハウスはこれまでにのべ300人を超える若者が滞在してきました。
以下が感想文になります。
N.Mさん
・今回の訪問の数日前に、大阪の知的障害の子どもの施設でインターンをしていた。そこは、家 族での養護が難しいなどの事情で入所する子どもが多く、安全のためにすべての扉に鍵があり、 ある意味では隔離・閉じ込めることが前提に必要な場所でもあった。 その施設で一緒に過ごした子ども達との比較をついしてしまっていたので、あらかじめ書いてい ます。
・私が1日まめの木にいる中でしたことは、一緒に絵本を読んだりアニメーション作る子を見てた り、 肩車して歩き回ったりキャンピングカーでごっこ遊びしたり、鹿の解体を見たり人生ゲームをした り、外の道に付き添ったり喧嘩を観察したり、川まで行って雨に降られたり、工作してるの横で 見てたり、お掃除一緒にしたり…です。 これだけでも、自分の小学校の時と比べれば一日に体験することとの種類が多様なのが明らかで した。(毎日の違いはわかりませんが…) また、前述の施設との違いと言えば、「お決まりの流れがない」こと。(お片付けやご飯は時間的 枠はあるが、中身の強制がないので) ・直ぐに興味が色んなものに湧いたり、「あれしたい!」「もうこれは飽きた」のサイクルが早 く、固定の時間やり続けるというよりは思ったらやる・辞める、が当たり前。 人生ゲームを一緒にしていたら、後から見つけた子ども達がやりたいと入ってきたり、逆にべつの ことがしたくて出ていったり。 ・全員の年齢や基礎学力(文字・計算のことを指しています)の度合いが私には分からなかったので、 人生ゲームでは内容の読み上げ・説明・銀行機能は自分が担っていました。お金の計算が?の子 とは一緒に数えてみたり、「どういうこと?」ていうのを一緒に考えてみたり。 私が知らないことをどう説明したらいいのか分からなくなったり、この計算の考え方はどこまで 伝わっているんだろうか、どうやってこの子たちは学んでいくんだろうか、てことを考えていまし た。 ・難しいなと感じたのは、外で遊んでいる際に「川に行くか、行かないか。」で喧嘩になった時。
決まっているルールがあって、川に行くには我慢しなければいけないことがある。 ルールを盾に、一人を数人で責めたり怒鳴る男の子たち。 あんだけ言われたら行くにしても帰るにしても素直に返すことは難しいだろうと思われる女の子。
大人が二人ついていかなければいけない中で、私は女の子の意思に沿って動こうとは思っていたし、 必要以上の介入はせずにいようとも思うけれど、男の子たちにも自分の伝え方や行動を考え直し てほしいとも思うし。 きっと子どもは思っているより強くて、泣いても自分で回復する力を持っているけれど、泣かせ た側の気持ちは自分の主張を通したい意思による弱いものいじめにも感じて、想像しきれなくて。
うーんってなりました。
・お掃除の際に、男の子たちが人生ゲームや遊んでいたおもちゃの片づけで言っていたことが引っ かかっています。 「自分で出したものは自分で片付ける」というルールがあるのでしょうか、それ自体は自分の行 動に責任を持つ習慣として素敵だと思う反面で、「それは○○のやから、オレ関係ない」という 主張で放置する様子に対しては違和感を持ちました。自分の兄弟喧嘩でも、高校生でも、大人の 世界でも、責任や原因の押し付け合い、擦り付け合いはどうしてもあって、それがここでも起き ていると感じました。 第三者から見れば、疑問ではあるが、当事者の気持ちもわかるし、自分のしていないことの責任 までも背負うことは誰かの課題を奪うことにもなり、機会を奪うことにもなるし…と思って、難 しいなと思っています。
・今回はずっと子どもと一緒に何かをすることの経験をずっとしていました。げんさんやでーひー さんや、他にも話してみたい大人の方々も沢山いらっしゃったけれど、ちょっとびびったのもあっ
てお話に行けてません… 今後もまめの木さんには時々行かせて頂きたいです。
T.H さん
・待つということは教えるよりも難しいことなんじゃないかと思うので、見守り、求められるま
で応えるスタンスのまめに木に驚いた。
・自由やからこその責任があって安全面の見守りが必要だと思っていたけど、それは固定観念だっ た。
その時、自分の声の掛け方が「べき論」が多いと気づいた。
・私を含め、北欧などの海外の教育に興味がある人が増えてきているように思うが、視察などで
現状を知り、日本の教育とその海外の教育を比較することは文化や背景が違うのに教育に優劣を
つけることで、危険なことだと思った。
・海外もいいけど日本もいいじゃないのかという自分の仮説の答えがここにある。
・ルールは決められるものじゃなく決めていくものだ。まめの木では自然に文化が発生している ように感じた。 ・異年齢の関わりが文化として成り立っていたり、唯一のルールでみんなで団結する「掃除の時 間」と「遊びの時間」のメリハリがすごく良い。音楽をかけるのも自然にできた文化と聞いて、 勉強というよりも生活の工夫が素敵だなと思った。生きる力が上がりそう。
・大人同士の信頼は子どもたちに感染するから、年齢・世代を超えた関わりがあって、子どもは もちろん、大人もがイキイキと楽しんでいるのが居心地の良さに繋がるのだと思う。
・悩んだこと:車で遊んでいる時に投げげるような行動に、私はおもちゃを大切にしてないとい う勝手な解釈をしてしまった
M.R さん
子どもたちの自主性、自己判断力・決断力、個性(好きなこと、興味のあること)、視野を広げることをとても大切にされている、素敵な空間でした。将来、自分で道を切り拓くのに必要な力がここでは身に付くと感じました。みんな将来大物になりそうだな~と思って遊んでいました!子どもの能力って計りしれないものですね!!今度はみんなと一緒に紅茶を作りにいかせてくださいね今日1日、本当にありがとうございました!お昼ご飯とっても美味しかったです
S.R さん
今回の訪問では、子どもの純粋なワクワクや、そこから生まれる学びの機会を目にして、僕自身に様々な問題提起を起こさせていただきました。
そもそも学校で基礎教科を教える目的は?
大人が子どもの成長を制限してしまっていないか?
子どもって一体どこまでできるのだろう。
これから教育と関わっていく中で、この問いは常に問い続けていきたいと思います。
また、どの立場の教育者であれ、この問いは持つべきものだろうなと感じました、。
また、最後に源さんがおっしゃっていた
「子どもたちには、極端な話、世紀末であっても生きていける力を養ってほしい。」ということ。
この力を養っていけるのは、まめの木が子どもたちの「安心できる居場所」として機能しているからこそ、できるものなのだろうなぁと感じました。
今回の訪問で得たことを踏まえ、今後の自分なりの教育への関わり方を考えていきたいと同時に、今回のような訪問をこれから教育者となっていく他の学生にも体験してほしい。
そう思えた1日でした。
短い間でしたが、多くのことを肌で感じさせていただきました。
貴重な経験ありがとうございました!
H.S さん
今回は、まめの木にお邪魔させていただきありがとうございました。新しい教育の形(あれは教育と言っていいのかわかりませんが)を見れてよかったです。いい意味での放置、任せるところがずっと感じられて、僕にとってはとても居心地の良い環境でした。自分が子供の時に通いたかったなと思っていました。その中で深く感じたのは、自然とできている「教える」「教えられる」の関係です。別にこちらが指示をしていないのにその関係になっていて、人間の本能的な部分の教育を感じました。また、感じたのは「相手の価値観を否定しない」というところです。今回子供同士の会話に耳を常に傾けていたのですが、相手の価値観を否定するような発言が全くなく、常に自分と相手に境界線を引いているような感覚でした(価値観の境界線って意味です)。今回は本当にありがとうございました。またカレッジでもよろしくお願いいたします。
投稿者 :西村 源