現在、私は人口約4.2万人ほどのちょっとした田舎で、4つほど仕事を掛け持ちしていて、
そのうち2つが今回に関係あるのでそれを紹介しようと思う。
メインはオルタナティブスクールのスタッフと、
もう一つが公立中学校に通う海外から来た生徒のための、通訳と授業のサポートをする仕事だ。
この二つの環境はとても対照的だ。
規格外の子どもたちが通うオルタナティブスクールのスタッフをしながらも、
それとは対照的な、学校、でも働いていることから、
その二つの間にいる私が、気づいたことを書いてみようと思う。
オルタナティブスクールとは?
初めて聞く方も多いかもしれない。
一言で言ってしまうと、
今までの私たちが一般的に思い浮かべる学校からは想像できないほど自由で、規格外の学校のこと。だ。
以下のサイトがわかりやすくまとめられている。
オルタナティブスクールとは?
今日の日本ではヨーロッパやアメリカに比べると、
まだまだオルタナティブスクールの存在は認められていない。
もし知っていたとしても、一般の人にフリースクールというと、
不登校の子どもたちが通っている場所でしょ?かわいそう。と思われがちである。
しかしその考え方自体が時代遅れな考え方になってきていて、というのも、
いま日本には全部で29万人の小中学生が不登校でその数は10年連続で増加の一途をたどっているのだ。
これは明らかに、時代の変化によって今の子どもたちが慣行の学校教育に
合わなくなってきているということであり、この数値はそれが表面化したほんの一部である。
このようなこともかねて、日本におけるフリースクールという存在自体が、
これからの時代を生き抜く子どもたちがのびのびといられるような場所として、
普通の学校に行かなかったというマイナスな切り口から入るのではなく、
普通の学校では絶対得られない経験と成長というプラスの初動、メンタルであれるような場所づくりを、
公共の力に頼ってないでさっさと始めないと、今の子どもたちには間に合わないのである。
インターナショナルデモクラティックスクール・まめの木
私たちのスクールでは、子どもたちがやりたいことを自分で決め、実行する。
ということを軸にして今年で約8年間運営してきた。
その中で私は去年からスタッフになり、まめの木の一員として働いている。
スタッフとしてしていることと、まめの木の特色を挙げるとしたらこのようなものがある。
- 子どもたちのやりたいことをいかにして引き出すか?そのためのアイデアが出てきやすいような環境や
子どもたちの間での雰囲気、話し合いの場を創ること
- 失敗も成功のもとであるため、サポートは最小限だけど、それぞれの子どもに合わせて、やりたいことをサポートすること
- 年齢に関係なくそれぞれの子どもにそれぞれなりに向き合い、また、子どもたち全体がお互いを見れるような柔軟な場所であること
- 畑や果樹、動物などの自然とのつながりとしての農園や、木工、陶芸、ピザ窯があること
- 子ども主体の出店のお祭りや、社会勉強としてのレストラン運営など地域との社会的なつながり
- ボランティアを受け入れることによる海外とのつながり
- 建築士、テニスコーチや、石、囲碁、天体観察の先生、子どもたちのアクテビティを豊かにするような人たちとのつながり
- 子どもたちが本当にのびのびすることと、また、まめの木コミュニティだけで閉鎖的にならずに外にもオープンで、
地域にも働きかけているという姿勢であるということ
このような特徴があげられると思う。
ここでスタッフをしながら日々感じているのだが、
ここには生きていくためのエッセンスが詰まりまくっている。
大事なこと
ここであえて、ここに来るからこその、よくあげられる不安要素のことを書てみよう。
〔世界に存在するあらゆるすべてのことには陽の側面と陰の側面がある。
上記を陽としたときの陰にはどのようなものがあるのだろうか〕
一つには、読み書きが歳相応にできないのはまずいのではないのか、ということである。これに対しては
・まず大前提から、不登校で家にこもりっきりという状況から脱出するための希望として、
社会性を学べるという点だったり、家族の大変な作業を分担するということにおいてずっとプラスであるということ
・そして、子どもたちのやりたいことに伴って、読み書きが必要であれば、子どもたち自身が必死になって習得する。ということ
・また、冷静に考えたら、現在の私たち大人世代自身も、パソコンでの打ち込みや音声入力での打ち込みによって
手で字を書く機会は減っており、それに伴って現実問題手書きで漢字は出てきにくくなってきていること
・一般教育と私たちのスクールでは重きを置く点が違い、土俵が違うために比べられないこと。
〔優劣ではなく、背景の違いによる現状の違いは存在する〕
大まかにしてこれらが今の私たちの実践を通した答えである。
それでも、【子どもたちのやりたいことに任せてそれぞれが習得する】だけで、
本当に大丈夫なのかという不安が生じてきたりするのだが、これに関しては、
まずは、スタッフが教えない、ということは絶対にないことの上で、
実際に漢字を読むことが苦手だった子が、好きなことを通して、文字を読めるようになったという実績はあるし、
元から読むことに興味がある子は自分からたくさんの読書を通して漢字も知っているし、
小中高行っていないけど、大学行って先生になった人も知っているし、
中高から漢字が全くダメだったけど、海外旅の時に漢字が書きたくなり、辞書引いて日記に書きつけることで習得した人もいるし、
などなど、、なにより、ここで得られる万物に共通して大事なエッセンスは、
✨不安や問題意識から生じるどうするべきか、の課題を追求、こなしていくのではなく、
これからこの先あなたはどうなっていきたいの?どうしていきたいのかを創造する中で課題をこなすこと✨である。
子どもたちが必死になって自分でやることを通して初めて、そのものが真に身につくということである。
〔軸を定めることによって生じる陰と陽、それと、どこに重きを置いて、進んでいくのかは、関係がない。
これはなかなか、実践が伴わないとわからないことであり、また、これはそのようなものである、と信じることができない。
これを知ることは、自分を信じること、相手を信じることにもつながる。
すべてはどこに重きを置くか、に過ぎない、単純な仕組みで、この世界は成り立っている。〕
私たちのスクールではそのようなことが体験を通して学べる場所であるし、そうあるための努力は今後もしつづけていきたいと考えている。
そんなこんなで、私はこんな場所にいてるので、どんな年齢の人でも、
可能性を探したい方は是非、ヒントになると思うので、遊びに来てください^^。
今日のところはここまで。新鮮なのをだしたいので、
もう一つの学校のことはまた今度の機会にでもかかせていただきます。
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この記事は2023/10/08
12歳から80歳にわたり、まめの木を関わり支える
多様な13名によるまめの木主脳会議を基に
なりにが執筆いたしました。
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現在、私は人口約4.2万人ほどのちょっとした田舎で、4つほど仕事を掛け持ちしていて、
そのうち2つが今回に関係あるのでそれを紹介しようと思う。
メインはオルタナティブスクールのスタッフと、
もう一つが公立中学校に通う海外から来た生徒のための、通訳と授業のサポートをする仕事だ。
この二つの環境はとても対照的だ。
規格外の子どもたちが通うオルタナティブスクールのスタッフをしながらも、
それとは対照的な、学校、でも働いていることから、
その二つの間にいる私が、気づいたことを書いてみようと思う。
オルタナティブスクールとは?
初めて聞く方も多いかもしれない。
一言で言ってしまうと、
今までの私たちが一般的に思い浮かべる学校からは想像できないほど自由で、規格外の学校のこと。だ。
以下のサイトがわかりやすくまとめられている。
オルタナティブスクールとは?
今日の日本ではヨーロッパやアメリカに比べると、
まだまだオルタナティブスクールの存在は認められていない。
もし知っていたとしても、一般の人にフリースクールというと、
不登校の子どもたちが通っている場所でしょ?かわいそう。と思われがちである。
しかしその考え方自体が時代遅れな考え方になってきていて、というのも、
いま日本には全部で29万人の小中学生が不登校でその数は10年連続で増加の一途をたどっているのだ。
これは明らかに、時代の変化によって今の子どもたちが慣行の学校教育に
合わなくなってきているということであり、この数値はそれが表面化したほんの一部である。
このようなこともかねて、日本におけるフリースクールという存在自体が、
これからの時代を生き抜く子どもたちがのびのびといられるような場所として、
普通の学校に行かなかったというマイナスな切り口から入るのではなく、
普通の学校では絶対得られない経験と成長というプラスの初動、メンタルであれるような場所づくりを、
公共の力に頼ってないでさっさと始めないと、今の子どもたちには間に合わないのである。
インターナショナルデモクラティックスクール・まめの木
私たちのスクールでは、子どもたちがやりたいことを自分で決め、実行する。
ということを軸にして今年で約8年間運営してきた。
その中で私は去年からスタッフになり、まめの木の一員として働いている。
スタッフとしてしていることと、まめの木の特色を挙げるとしたらこのようなものがある。
・子どもたちのやりたいことをいかにして引き出すか?そのためのアイデアが出てきやすいような環境や
子どもたちの間での雰囲気、話し合いの場を創ること
・失敗も成功のもとであるため、サポートは最小限だけど、それぞれの子どもに合わせて、やりたいことをサポートすること
・年齢に関係なくそれぞれの子どもにそれぞれなりに向き合い、また、子どもたち全体がお互いを見れるような柔軟な場所であること
・畑や果樹、動物などの自然とのつながりとしての農園や、木工、陶芸、ピザ窯があること
・子ども主体の出店のお祭りや、社会勉強としてのレストラン運営など地域との社会的なつながり
・ボランティアを受け入れることによる海外とのつながり
・建築士、テニスコーチや、石、囲碁、天体観察の先生、子どもたちのアクテビティを豊かにするような人たちとのつながり
・子どもたちが本当にのびのびすることと、また、まめの木コミュニティだけで閉鎖的にならずに外にもオープンで、
地域にも働きかけているという姿勢であるということ
このような特徴があげられると思う。
ここでスタッフをしながら日々感じているのだが、
ここには生きていくためのエッセンスが詰まりまくっている。
大事なこと
ここであえて、ここに来るからこその、よくあげられる不安要素のことを書てみよう。
〔世界に存在するあらゆるすべてのことには陽の側面と陰の側面がある。
上記を陽としたときの陰にはどのようなものがあるのだろうか〕
一つには、読み書きが歳相応にできないのはまずいのではないのか、ということである。これに対しては
・まず大前提から、不登校で家にこもりっきりという状況から脱出するための希望として、
社会性を学べるという点だったり、家族の大変な作業を分担するということにおいてずっとプラスであるということ
・そして、子どもたちのやりたいことに伴って、読み書きが必要であれば、子どもたち自身が必死になって習得する。ということ
・また、冷静に考えたら、現在の私たち大人世代自身も、パソコンでの打ち込みや音声入力での打ち込みによって
手で字を書く機会は減っており、それに伴って現実問題手書きで漢字は出てきにくくなってきていること
・一般教育と私たちのスクールでは重きを置く点が違い、土俵が違うために比べられないこと。
〔優劣ではなく、背景の違いによる現状の違いは存在する〕
大まかにしてこれらが今の私たちの実践を通した答えである。
それでも、【子どもたちのやりたいことに任せてそれぞれが習得する】だけで、
本当に大丈夫なのかという不安が生じてきたりするのだが、これに関しては、
まずは、スタッフが教えない、ということは絶対にないことの上で、
実際に漢字を読むことが苦手だった子が、好きなことを通して、文字を読めるようになったという実績はあるし、
元から読むことに興味がある子は自分からたくさんの読書を通して漢字も知っているし、
小中高行っていないけど、大学行って先生になった人も知っているし、
中高から漢字が全くダメだったけど、海外旅の時に漢字が書きたくなり、辞書引いて日記に書きつけることで習得した人もいるし、
などなど、、なにより、ここで得られる万物に共通して大事なエッセンスは、
✨不安や問題意識から生じるどうするべきか、の課題を追求、こなしていくのではなく、
これからこの先あなたはどうなっていきたいの?どうしていきたいのかを創造する中で課題をこなすこと✨である。
子どもたちが必死になって自分でやることを通して初めて、そのものが真に身につくということである。
〔軸を定めることによって生じる陰と陽、それと、どこに重きを置いて、進んでいくのかは、関係がない。
これはなかなか、実践が伴わないとわからないことであり、また、これはそのようなものである、と信じることができない。
これを知ることは、自分を信じること、相手を信じることにもつながる。
すべてはどこに重きを置くか、に過ぎない、単純な仕組みで、この世界は成り立っている。〕
私たちのスクールではそのようなことが体験を通して学べる場所であるし、そうあるための努力は今後もしつづけていきたいと考えている。
そんなこんなで、私はこんな場所にいてるので、どんな年齢の人でも、
可能性を探したい方は是非、ヒントになると思うので、遊びに来てください^^。
今日のところはここまで。新鮮なのをだしたいので、
もう一つの学校のことはまた今度の機会にでもかかせていただきます。
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この記事は2023/10/08
12歳から80歳にわたり、まめの木を関わり支える
多様な13名によるまめの木主脳会議を基に
なりにが執筆いたしました。
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